ソニック
北九州市黒崎生まれ。
広島県福山市のルーツを経て岡山県で育った。
趣味は海外・国内旅行(さすらうこと)と、酒(トリップすること)と、バラの日々(女性といちゃいちゃすること)とカメラ(デジタル・キッス)と馬鹿話(バカでいいじゃん)で笑う(人生で無駄な一日があるとすれば、それは一度も笑わなかった日)こと。
#あとさ、最近のマイブームは、ちょっぴりボーリングと卓球!
愛車はエルグランド。(閉所恐怖症なので小さい車はあかんな)
現在は酒飲みが高じて、銀座8丁目にショットバーを経営中。
高校を4年かけて卒業し、2年間ニートしてから三流私立大学を卒業後、3年のサラリ−マン生活を経て1988年に資本金300万円で有限会社を起業した。
#人様よりも出足が遅い「オチコボレ」コンプレックスを抱えていた
大学生の頃から、パソコンを使いこなす。(当時はシャープのMZ-2000)
#この頃のパソコンは記憶メディアがカセットテープだったんだよな。。。。。。。
#OSのLoadがつらかったな。
なので、流れでコンピュータ業界に就職希望だわ♪ふわ♪ふわ♪ふわ♪ふわ!byモー娘。
もちろん大学生の頃から、卒業後3年以内でコンピュータ業界で起業することは決めていたのだ!
#でもさ、当時コンピュータ業界の世界って、完全に「お、た、く」の世界に見られていたんだ。
#趣味は何ですか?
#ええとパソコンを少々、、、、、、
#キモッ!
#と、言われていた。
#今じゃパソコンはフツウだもんね。
#時代は変わったね。
最初のクライアントのニフティ・サーブ(現在の@Nifty)様から、いろんなシステムを開発するエンジニアとしての業務委託契約を頂いた。
#完全にオタクの世界でしたね、ニフティ・サーブは、、、、、、
#>GO SONICってコマンドも勝手に作っていたしな、、、、、
この時代のコンピュータ通信はといえば、テキスト通信が主流であり、通信速度も300bpsと今では考えられないほどの超低速だった。
どのくらい低速度かというと、サーバから送信されてくる一画面分のデータを一文字ずつオンデマンドで、目で追いながら読むことができるほどの低速だったんだ。
#その後、1200bps、2400bps、9600bps(のモデムは当時10万円程度)と進化していった。
ニフティ・サーブ様には6年程度ほど可愛がって頂いたのだが、6年も同じ事をやっているとさすがになんだかね?つまらんね。
つーことで、要するに仕事に飽きてきて、だんだん大森のベルポートにも行かなくなってしまったら、案の定、小川部長(当時、きっと現在は偉くなっているんだろうな)に業務委託契約を解除された。(ようするにクビだね)
と、そのころ1995年に世界中に衝撃的な事件が発生した。
そう、Windows95の発売である。そしてそれは同時にインターネット時代の幕開けでもあった。
#日本では神戸の大震災がありました。
この時代の潮流を見逃す手はないと、さっそく渋谷で弱小&零細インターネット・サービス・プロバイダーを立ち上げた。
モデムを並べて商売するのはニフティ・サーブ様で経験していたんだよ。
当時最速の28.8Kのモデムを並べて商売を開始!
会社としては初めてのコンシューマー相手の商売だ!
コンシューマー相手の商売だと、信用も大事だなと考えて、有限会社から株式会社に格上げもした。
当時の商法の関係で資本金は1,000万円に増資、増資。
学生時代にディスコのビラ配りのバイトをしていた経験を生かして、女性料金を男性料金の半額にするという、ちょっぴりユニークなタリフ(料金表)を作成したりした。
この値段設定が面白かったのか、日経ネットワークが取材にやってきて、インタビューを受けた。
(この雑誌は今でも保存してある、たぶん、探せばどこかにあるはずだ)
で、生まれて初めてちょっぴりメジャーな雑誌に自分の名前と会社名が掲載されたときは、やはりちょっぴりうれしかったのを覚えている。
続く、、、、、、
手始めに渋谷にアクセスポイントを作った。
同時にインターネット・サービス・プロバイダー・パッケージとしてハードウェアとソフトウェア込みで一式500万円で販売した。
#この頃はISPを始めたがる人たちがたくさん居たんだ
このセットは岡山と沼津と八王子と千葉県の千葉市と千葉県の八日市場市に全部で5セット売れた。
続いて、法人相手にインターネット専用線サービスを始めた。
この時代のインターネットは、128Kbpsで約20万円程度した。
それを格安の、5万円程度で提供したのだ。
#ちなみに、1.5メガbpsだと100万円程度もした。
この専用線サービスにも、顧客が付き、10社ほどと契約を結んだ。
このころは、楽しかったなあ。
#季節で言えば夏でしたね。
#働くことが楽しかったよ!
従業員も15名程度に増えた。
経理の女性も、税理士も付けたよ、後楽園!by椎名林檎
一方で、ソフトウェア開発の受注の方も順調に推移していった。
従業員一人当たり年間800万から1000万円の売り上げがあった。
そしてついに、起業したときに立てた目標の「億の金を見る」を達成してしまった。
そもそも俺は、志が低い男だったのだ。
「億の金を見る」という程度で満足してしまう、とても低い志の持主であった。
それを達成してしまうと、なんだか気が抜けてしまったのだ。
そして、だんだんと働く気力が薄まっていくことを感じていた。
#ハングリーでなくなったというか、、、、
#達成したというか、、、、、
#イッチャッたって感じかな?
つづく、、、、、
そしてついに21世紀!
ブロードバンドの時代に突入する。
有線ブロードネットワーク様が光ファイバーを使い、通信速度最大100Mbpsのインターネット常時接続サービスを月額4,900円で2001年3月に開始すると発表したのだ。
そして、伊藤忠テクノサイエンス様より、このプロジェクトを成功させるミッションを頂いた。
300bpsの時代から、ついに100メガbpsの時代までやって来たんだ!
#なんか感慨深いものがありましたよ。
#僕のプロジェクトはすべてコンピューター通信と共にあったのだけれど、
#WANで100メガbpsの時代がこんなに早く来るなんて思ってもいなかった。
#通信速度は何倍ですか?
#馬鹿なので計算できません!
ところが、当時は商売が繁盛しており、人材リソースが不足しており、仕方なく僕が現場に入ることになった。
本音としては、もうあんまり現場で働くのはいやだなあとか思っていたのだが。
でも仕方がないので、伊藤忠テクノサイエンス様のオファーを断ることもできないので、僕と新人二人でこのプロジェクトに参加した。
通信速度を保証しないベストエフォート型のサービスとはいえ、100Mbpsという速度は家庭向けインターネット接続サービスとしては世界最速のものだ。
もちろん、世界で初めてのプロジェクトだ。
当時の僕のギャラは、1時間1万5千円。
1日15万円。
ひと月に300万円稼いでいた。
このほかに、他の従業員が稼いでくれるので、当然お金はジャブジャブ状態。
愚かで貧乏人で田舎者であったこの僕が、持ち慣れない金を持つと当然ろくな事はない。
毎日、ただただ金に飽かせた日々を楽しんでいたのである。
それは僕の有能さの証明だとさえ考えていた。
当時の僕の浪費ぶりは、今思い出しても冷や汗が出てくる。
毎晩銀座で飲み歩き、高級クラブを梯子し、一晩に数10万円も消費していた。
ホステスを口説き、高級ホテルに泊まり、まあそのような不毛な遊びに大枚を叩はたいていた。
女の子たちの黄色い声と笑い声が響きわたる空間の中心に、自分が存在していることに喜びを感じていたのだ。
続く、、、、、